『~時のゆらぎが、それぞれを異なる未来へ運び出す~』

大多数が認識している、過去から現在までの歴史の様相、それらの共通認識、
様々なニュース、統制された常識的概念、共通認識が世の中を形作っている。

多くの人が同じ共通認識を強固に持てば持つほど、同じ状況下が続いて行く。
皆が同じ情報を共有し、このようなものだと思っている内は何も変わらない。

共通認識こそが、この世の中のシステムを保持している要素とも言えるのだ。
故に統治しようとする者達は、情報を統制し、大衆の共通認識を作り上げた。

しかし今、その強制的共通認識とも言えるものが大きく崩れようとしている。
インターネットにより、統制されていない情報や個人の見解が拡がっている。

個人の持つ情報量や中身が異なるので、画一化された共通認識=知識的常識、
これだけに留まることは無く。ますますそれぞれの世界観が多様化して行く。

そして共通認識と知識的常識の多様化と共に、時と未来が揺らぎ始めたのだ。
時がずれたように感じるかも知れない。記憶が人によって違うかも知れない。

時には数分の時間のずれが生じることも起こり得る。
出来事の記憶が、人によって違うことも起こり得る。

時間のずれは、今までとは異なる世界線へと、舵をとった時に起こり易くなる。
人との記憶違いは、異なる世界線を体験したことによるものなのかも知れない。

物品が無くなったりする時には、自分の方が移動して、離れたのかも知れない。
それぞれの未来へと続く世界線へ運ばれて行く。記憶と現実が違う時に起こる。

今後は個々人の意識次第で、今までとは似て非なる、見合った世界へ誘われる。
そこでまた似た者達の、共通認識の世界・集合意識の未来が展開して行くのだ。

より良い共通認識を通じて、皆で素晴らしい世の中を形作ることも出来るのだ。

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