『~常識という幻想の中からの目覚め~』
夢から覚めた時に、今のは夢だったんだと思うように。
同じように起きていても、目覚めることは出来るのだ。
夢の中で「これは夢だ!」と気が付く事があるように、
同じように、現実生活の中でも目覚めることは可能だ。
目を開けたまま、改めて、現実世界を見渡して見ると、
壁だと思っていたところに、扉が見えるかも知れない。
見えなかった扉を見出すために起きたまま目を覚ます。
目を覚ますということは、違う扉を開くということだ。
さて話は変わって、この世もあの世も、様々な世界は、
水の中に浮かぶ、ゼリーのようなものであると言える。
過去も現在も宇宙も、それぞれが世界線を持っていて。
個々のゼリーは、時に重なり合い、付いては又離れる。
この世とあの世のゼリーが近付くと、異世界が見える。
視覚に捉われ、怖くなったなら現実に目を向けるのだ。
異世界から現実世界に戻るには目を覚ますことである。
これは自分の居る世界では無いと。唯、宣言するのだ。
思い込まされて来た常識からも、目覚めるときである。
思い込まされて来た常識が違うのならば目覚めますと。
この世はあらゆる場所がテーマパークのように見える。
偽物を本物のように謳い、そうであると思い込ませる。
偽物を信じ込まされて来た、この世界線を変えるには、
一人一人の、目覚めようという意志が必要なのである。