『~良き結果を純粋に受取るために~』

今回は個人から団体まで、如何に受取るものを受取れていないか。
原因と結果の巡りの中で、良き結果を受取れていないという事実。
個人も全体も、下手を打ち続けているというお話をして参ります。

先ず簡単な例で申しますと、自分に明白な正当性があるとします。
それにより賠償を受ける権利があったとしても、激高してしまい、
暴力・暴言といった行為を行うと最終結果はどうなるでしょうか。

他者には分からなくても、心や思考で相手や皆の不幸を願ったり、
また日常的に思考が批判で満たされ、常にイライラが止まらない。
このような行為が人生で受取るべき喜びを減少させて行くのです。

例えば乱開発のような自然界のダメージに対しても何も感じない。
自分達で無ければ、他に犠牲と苦痛があっても仕方無いと思える。
人生や時代を跨いでも、それらの負の遺産は歴然と追って来ます。

このように正確に、目には見えない分も含めた上で巡りが来ます。
例え自分は悪くないように見せ掛けても、帳尻が合う時が来ます。
良き行いの結果を純粋に受取ることの出来るようにされて下さい。

『~もしも、世界を創るなら~』

もう被害者にも加害者にもならない!
より良き未来に向かうのなら、この覚悟を持たれて下さい。

さてあなたはご自分を被害者的立場であると考えておられるでしょうか。
それとも自分達以外の被害者が出ても仕方が無いと考える方でしょうか。

被害者になるにも
加害者になるにも
本当は深い自分自身や霊的ガイドが許容した上で、その役をしています。
自分は中間に居るつもりでも、無自覚にどちらかの意識が勝っています。
この世の低周波数領域では、それらが対立する事象として現れています。

しかし集合意識の上昇に伴う、この世の波長・周波数の高まりによって
所謂「正邪のように」解り易い両極に位置する必要は無くなっています。
被害者・加害者という立場の境界線が段々と薄れて行くことになります。

それは例えば、同じ楽曲を演奏するのに高音・低音のパートに分かれる・
又は異なる楽器を使用するというようなものです。極端ではありません。
高周波数領域では、互いに差異を発揮しつつ、ハーモニーを形成します。

そして誰もが、想像力を奉仕として使うようになって行くことでしょう。

宇宙にはイン・アウトの法則がありますが、これからはアウトするもの
〈差し出す物・奉仕〉は、想像力を基にした「創造エネルギー」という
ものにもなります。それに呼応してイン〈受け取る物〉が生じて来ます。

世の中を動かす側に立っているのだと想像して、愛と奉仕の社会を創出
するように意識を向けると〈天とも波長が合い〉そのような立場に在る
人々とも同調し、やがてそのような社会が創出されて行くことでしょう。

ケガをして血を流し〈アウトプット〉、それから薬を貰う〈インプット〉
そのような方式が古くなって行くでしょう。

『~箱庭の地球からの脱却~』

この地球領域には、周波数帯の違いにより別世界があることはお話しました。
そういった「目には見えない異なる世界」が存在するという意味においては、
死後の世界などもそれに該当することになり、これも地球領域内に在ります。

さて今回は、見えているようでいて、実は見えてはいない宇宙世界について。
既成概念の思考から抜け出て頂くために、お話しを進めてみたいと思います。

この地球と呼ばれる領域は、例えるなら「中からは外の様子が見えない特殊
コーティングで全体が覆われている」という表現で言い表すことが出来ます。

目視や望遠鏡等では、直接宇宙は見えないように施されているとも言えます。
巨大な装置の中に居て、映し出されたものを見ていたということも言えます。

最早、宇宙は遠くまで広がっているという概念は捨てる必要があるでしょう。
本物の宇宙を見ようとすれば、周波数帯を越えて入って行く必要があります。

全て「此処にある」のが真相です。距離ではありません。周波数の乖離です。
生者と死者が実は重なり合う空間の別の周波数帯に存在するようなものです。
皆、此処に在りつつ、しかし手の届かない周波数帯に生息する生命体もいる。

まるで「箱庭」のように、一つの周波数帯にのみ生息する限られた存在から、
深い宇宙領域への航行を許される存在へと、今後人類種が進んで行けるのか。
それには集合意識・地球領域の周波数帯の上昇が必要不可欠となって来ます。

箱庭から脱却し、真の宇宙へ向かうために。愛ある共存共栄型社会の構築を。

『~屈折しながらも突き進む、光のように~』

何かの「目的」を達成するには、様々な体験が欠かせません。そして人生計画は、
体験を通じて経験値を高め、合わせて多様な感情を味わいながら進んで行きます。
しかしどのような体験であれ「決して光の方向を見失わないように」との意図が
働いています。何故なら「存在を形作る、組成そのもの」が根源の光だからです。

皆、どんなにネガティブに感じられる存在も、元々は根源の光を源としています。
幾ら本人の感情が否定しても無駄であると言えるでしょう。帰巣本能と言えます。
源に還ろうとするのは自然な本能です。思考のどこかで、心の奥で知っています。
鮭が故郷の川を目指すようなものです。自然の様相に真理の一端が見えています。

光とは逆方向の人生を歩んでいても、心の奥の羅針盤に蓋をしているだけのこと。
根源の光に還る本能は消失せず、あなたは光に向かって突き進むことが出来ます。
光の方へ進んで行くと心に決める。唯、それだけで、世界が変わって行くのです。
もし意識の迷宮に入り込んでしまっても、いつか光の扉を開く時がやって来ます。

万一あなたが、暗闇の中で眠り続ける選択をしたならどうなるかをお伝えします。
それでも宇宙の真の姿、根源の光の海へあなたは溶けて行くことになるでしょう。
つまり永遠に、暗闇の中に意識を留めて置くことは出来ません。それは幻想です。
意識的に光への道を行くのか、否か、それだけの違いであるとも言えるでしょう。

『~世界線の行方、この世の行方~』

日常を生きているだけでも個人から社会まで、刻々と様相が変わって行く。
更に、その日常の軌道が急に変わることもある。瞬きの間に。寝ている間に。
それは一冊の本の章を飛ばすようなもので、体験しなくて良くなることや、
或いは、別の話の中に飛ぶこともある。それでも最初と最後は変わらない。
宇宙の始まりと終わり。意識の生誕と融合。人生の物語の大枠も既にある。

さて途中で物語の章を飛ばしたり、別の話・方向性の中に入って行くとき、
その先の内容がどうあれ、社会も個人も一旦仕切り直していることになる。
一瞬で転換が起きて「仕切り直し」となったなら、同じ肉体・記憶を持ち、
同じ人生に居ると思っていても、以前とは似て非なる違う世界なのである。
生きたまま〈肉体ごと〉転生しているという言葉で表現することが出来る。

このように通常の転生だけではなく「別の世界線」の中へ入ることがある。
どの次元であっても集合意識の状況に合わせ、世界線の変更が起きている。
激しく移ろう場合には、一つの人生で幾つもの転生をしていることになる。
この際、良くないと思うことは繰り返さず。良いと思うなら向かうことだ。
繰り返す同じ人生・同じ社会の様相から抜けて、光ある未来への道を行け。

この世界の未来が続くのか、閉じられて行くのかの分水嶺が始まっている。

『~意識の階梯を昇り続ける人類へ~』

「産みの苦しみ」という言葉が相応しい。誰もが時代に向き合わなくてはならない時だ。
何かを得るというエネルギーが働くとき、同時に何かを解放するエネルギーが働きだす。
変化に対する覚悟が要る。世の中が変わるなら、それに自分を合わせる必要があるのだ。

真実・事実、宇宙・科学技術が人類の意識の選択により開示され、新時代がやって来る。
それにより進むべき道が現れて来るのだが、例えば情報を開示前に一早く知っていたと、
そのような目覚めだけでは、宇宙時代への扉を開く鍵とはならないことを認識されたい。

新情報には抵抗する多くの人々が居るだろうが、その中にも必ず意識の高い人々が居る。
先んじて知り、受け入れただけで自分たちを特別と思うような新たな潮流が見えている。
それでは宗教的・階級的な特別意識の二の舞になり、意識の上昇が頭を打つことになる。

高次元天上界・宇宙界へのパスポートを得るために、特別意識というものは必要が無い。
謙虚に淡々と、己の為すことを為す。全体の中にあって視点を拡げ、最善を尽くすこと。
何かに固執していては先へ進めない。自分を解放し、不要なものを見極めて手放すのだ。

手放した時に入るものがある。自分から奉仕した時に得るものがある。変化を恐れずに。
優先すべき事からも逃げずに。肉体有る者も無き者も。強い光の浄化を通過するために。

『~潜在能力・エスパーが開花する~』

地球を取り巻く周波数が上昇したために起こり得る現象の一つとして、
見え難かった内側が表出し易くなるので透過性が増加して行くのだが

それに伴い「個人の能力」も増幅される。内在する力が外に出るのだ。
個人と世の中は連動しており、生物の進化としても順当な流れである。

触るだけで、見つめるだけで、今までよりも影響を与えることになる。
感知力が上がるので、予測したり未然に事故等を防げるようにもなる。

主には思念の力が増大して来るので、集中することで様々な事象にも
影響を与えるようになる。それが周囲にとっても良き影響となるなら、

それが早い段階で跳ね返ってくることを、今生の内に何度も体験する。
逆に自分の利得のみに思念を使えば、逆の作用が今生の内に跳ね返る。

可視出来ずとも思念・思考の力は強いことに、皆が気付くようになる。
それは空気と同じような作用で周囲に拡がり、時空間をも超えて行く。

しかしこれは前述したように、透過性の増大と抱き合わせであるので、
勢い誰もが何にせよ、内面を吐露して見せてしまうようにもなるのだ。

これから伸びる潜在能力・エスパーは、あなたの内側を表すのである。

『~心の中の白い光、宇宙根源の光の分光~』

あなたの心にも、誰の心にも、純白に輝く光が生まれながらに灯されている。
それは純粋なる意識の光。宇宙根源由来の光。天上の愛と思いやりを知る光。

その光は小さくなったり大きくなったり、キャンドルの火がゆらめくように、
時々に光量を変え、風に吹き消されそうになりながらも、あなたと同調する。

あなたが余りにも、愛と思いやりから外れた時には、光が休止する時がある。
法律違反や悪感情を持つことだけでなく、思わぬ要因からも光はダウンする。

優位に立つための無意識の思考・行動や、自分の得を最優先とする行為等々。
例えばそのようなことが日常・普通になっていれば本人が気付くはずは無い。

しかし本人は気付いていなくても、心の光は気が付いている。輝きを落とす。
まさに火が消えたように、心の光が小さくなって行くと心に闇が拡がり出す。

心に闇が拡がると、やがて更に傲慢な世界が、その者のスタンダードになる。
心の光が殆ど輝かずとも、その状態が日常になると遂には光の心を忘れ去る。

さて。忘れ去った心の光に、暗闇に落ちたあなたが助け出されるのだろうか。
それとも自ら、光の心を純白の鳥のように羽ばたかせ、天の世界へ還るのか。

人生の中で心が路頭に迷うとき。肉体亡き後に、意識の路頭に迷うときにも。
あなたの忘れ去った光の心が、あなたを本流の光、根源の光の道筋へと誘う。

今、心の中にある純白の光を意識してみると、あなたにも感じられるはずだ。
忽然と、それは在る。何者にも浸食されることはない。宇宙根源の光の分光。

『~鷹の目を持て、叡智ある時代のために~』

本質的なところが出ぬままに、対極的な構図が現れている世情である。
しかし分かり易い構図のようで各々の中身は決して一元的とは言えず。

対極するそれぞれの陣営の中身、そしてその上に位置するところまで、
一枚岩では無い。コントロールが効かないというより自制が効かない。

本当の思考・感情、それらが表出して自分を抑え込み難い時世なのだ。
これは誰にでも、どの立場にも起こっている、表裏の境界線の崩壊だ。

洪水その他、崩れるという意味を持つ災害にも、境界線の崩壊という、
皆の内面が決壊して来ているということが、表出しているわけである。

今は、どのような立場であっても個々人は揺れ動いているのが見える。
物事には裏があるが、その裏も表に出ようとしており、止められ無い。

種がやがて外界に飛び出すように、疑問も本心もやがて表出するのだ。
今は玉虫色のように見方を変えれば色を変えるが実は中が揺れている。

皆が悪だと思うところにも裏があり、汚名を着た人々が前に出ている。
罪悪は犯させる元=指令を出す方により責任のエネルギーが発生する。

それを回避しようとして何重にも膜を張り宇宙と大衆の目を誤魔化す。
だから決めつけずに事態の推移を注意深く見極めて行くことが肝心だ。

表面に見えている事柄の殆どは、指示通りに行われた結果なのである。
誰が表立って批判を受けたいだろうか。指示者は表には出ては来ない。

世情をどの流れに持って行くか。即ちどのように解釈させておくのか、
今はどこに悪を置くのか。そのための現状をあえて作り、情報を流す。

だから、何のために行われているかを見極めることが肝要なのである。
どちらが悪いでは無く、何のために。そこを鷹の目で見極めることだ。

それが現代を生きる人類の叡智に繋がるのである。
騙され続けた人類が、次世代に向う礎を築くのだ。

『~不老不死、VRとクローンについて~』

先ず、転生について簡単に説明するならば、魂が胎児に入るのだが、
誕生して自我と意識も成長をし、元の魂とは別の人格が出来上がる。

やがて肉体の死後は、魂と新たな肉体に付随する意識は分かれ行き、
新たに芽生えた意識も転生する魂となって、次の肉体に入って行く。

以上が「転生のシステム」ということになる。

では不老長寿化のために、クローンを作ったり、VR化したりして、
そこに自分の脳のデータ等を入れ込んでみるとどうなるのだろうか。

例えば自分のクローンに脳移植をしたとするとどうなるのだろうか。
または他者のクローンに自分の脳を移植したらどうなるのだろうか。

脳は脊髄組織から切り離されると肉体の終りを理解することだろう。
そして脳を移植して活動が認められたとしても、元の本人では無い。

移植したクローンにも肉体に付随する意識=新たな自我が芽生える。

同じようにVRの世界に、自分の脳データを導入するとどうだろう。
VRの世界にもう一人の自分似の意識が生まれ活動することだろう。

つまりクローンに脳や脳のデータを移植しても別の意識が芽生える。
同じくVRの中に脳データを導入するとしても別の意識が芽生える。

つまり、それらは「自分に似た別の自我を持つ存在」ということだ。
全てのものに「自我や意識が宿る可能性がある」ということになる。

よってクローン化やVR化に、全く意味が無いとは言い切れないが、
自分と言う固有の存在が、それをもって延命長寿したとも言えない。