『~因果律による人生の輪からの脱却~』
もしも誰もが、そのとき、この宇宙が一旦収束する、その瞬間に、
連綿と続く意識を保ち続けていたなら、気付いて実感するだろう。
「自分しか居なかったのだ」と。これは人だけを指してはいない。
宇宙は根源の光、全ての源の光より発せられ、分岐を極めた後に、
やがてまた、そこに還り着く定め。一なる世界へ舞い戻って行く。
どのような存在に出会おうと、どんな出来事を見聞きしようとも、
別の自分が行っていることなのだ。一人では体験し得ないことを。
これは否応の無い真理である。自分以外も究極は自分なのである。
それを理解するならば、自分の意識次第で世の中も変貌を遂げる。
この真理に気付かないように憎しみや悲しみの種が蒔かれて来た。
自分の別存在の行いとは到底思いたくないと思うような世の中に。
しかしそれでも時が来て、否応なしに気付くべき潮流が来たのだ。
全てが自分で、故に皆も自分であることを知ってどう生きるのか。
何か自分の為に祈るとき、もし同時に全体性の為にも祈るならば、
その思いは高次の天と宇宙と連動しながら、輝きを放ち動き出す。
これこそが根源の光より流れてくる、創造の能力と言えるものだ。
意識を拡げ、高次のエネルギーと合致するときに成就されて行く。
このように生きて実践するなら、マイナスの因果は生れはしない。
いよいよ因果律による人生の輪から、脱却することが出来るのだ。